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あれから8年、東日本大震災を振り返る。 in気仙沼

2019.03.11

あれから8年。

 

 

私にとっても忘れることが出来ない日。

 

 

3月11日。

 

 

思えば、8年前の2010年11月15日に kotori 一級建築士事務所を設立し、

 

 

もうすぐ4ヶ月が経とうとしていた2011年3月11日、

 

 

当時の事務所の机で昼食を済ませ、豊橋市のB樣宅でのお打合せに向かおうとしたまさにその時、

 

 

14時46分18秒

 

 

東日本大震災が東北地方を襲いました。

 

 

豊川市内でも随分と揺れは感じられましたが、

 

 

まぁいつも通り、事務所を出てB樣宅へ向かいました。

 

 

そして、B樣宅でTV映し出されていた映像があまりに衝撃的であったことを未だに鮮明に覚えています。

 

 

津波よっておもちゃのように流されていく家屋、車、漁船。

 

 

ここが日本なの?

 

 

えっ?

 

 

夢?

 

 

本当に怖かった。

 

 

その後だんだんと明らかにされていく被害状況。深刻なものでした、、、

 

 

私は、この震災を機にあらためて『耐震住宅』を建てる事が自分が出来る最高の

 

 

地域貢献だと強く思い、自分の使命だと思いました。

 

 

この震災は、津波での被害が殆どでしたが、やはり共通するものはあると思い心に決めました。

 

 

そして、この日より約4ヶ月後の2011年7月1日に新たな気持ちで

 

 

kotori 一級建築士事務所を

 

 

株式会社kotori と法人化し、すべての住宅を耐震構法SEにて現在の最高等級である耐震等級3とし、

 

 

さらに全棟長期優良住宅で設計・施工することを宣言しました。

 

 

それから、4年

 

 

そのSE構法でも全国でも60社しかなることができない選りすぐりの工務店のグループ

 

 

重量木骨の家 プレミアムパ^トナーの総会が2015年3月20日被災地仙台にて開催されました。

 

 

 

 

徐々にではありますが、復興が進む中でも前向きに生きる被災地の方々に

 

 

何もできない自分の無力さ、

 

 

そして何より被災地の方々の団結力に強さ、前向きな気持ちがとても印象的だったのを覚えています。

 

 

 

あれからまた4年が経ち、

 

 

本日、改めて自問自答した。

 

 

答えが出ない、なんでこんなにチマチマやっているんだろう。と、、、

 

 

もっともっとできる事があるのではなかろうか。

 

 

そんな想いで本日、再びこの地を訪れることとなりました。

 

 

 

 

高台から見る気仙沼市。

 

 

奇しくも、4年前と同じく天候は雨。

 

 

 

 

復興は、進み写真のように防波堤が出来つつありました。

 

 

防波堤のちょうど目線くらいの高さにこんなモノがありました。

 

 

 

 

30メートルに一箇所づつでしょうか。

 

 

このようなモノがありました。町の人に聞いてみると

 

 

津波が来ないか、ここから確認するためののぞき穴のようなものだそうです。

 

 

 

 

港の対岸にも防波堤が出来つつありました。

 

 

 

 

次に訪れたのは、気仙沼向洋高等学校です。

 

 

写真では、解かり難いと思いますが、この建物は震災時のまま残されています。

 

 

ニュースでも盛んに報道されていますが、昨日より校舎の内部が一般公開されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日、短い時間でしたがこの震災の地、気仙沼に訪れて

 

 

地元の方々とお話をさせていただき、また自分の中でのモヤモヤしていたものが

 

 

少しではありますが、消えていき私がやるべき事が

 

 

再確認できたように思います。

 

 

 

話はすこし変わりますが、この地で素晴らしい取り組みをされ

 

 

地域の方々の生きる活力となり、そして気仙沼市にも大きく貢献されている会社を

 

 

ご紹介させていただきたいと思います。

 

 

皆さんも、ご存知の方多いと思いますが、私は本日初めて訪問することが出来ましたので

 

 

ご紹介させてください。

 

 

気仙沼ニッティング さんです。

 

 

https://www.knitting.co.jp/

 

 

手編みのセーター屋さんです。

 

 

もともと、震災後に被災者さんが働く場所を失い、

 

 

働くことが出来ない事から、自尊心を奪われていく。

 

 

なんとかしないと。と プロジェクトリーダー・御手洗瑞子さんが始めた会社です。

 

 

気仙沼は漁業の街ですから、昔から漁師の奥さんは漁網をつくることを得意としていて

 

 

手先が器用だからと、手編みのセーターを提案し、さらには毛糸までも作ったという。

 

 

本当に素晴らしい取り組みだと思います。

 

 

 

という事で、本日のブログは途中で読むのが嫌になるほど長かった、、、笑。

 

 

そんな方もお見えでしょうが、まとめます。

 

 

わたくしの使命は、まずはこの東海地区で地震に強い、耐震住宅を皆様にお届けする事です。

 

 

やはり、これに尽きると思います。

 

 

そこから繋がる何かをこれからは追い続けていこうと改めて感じました。

 

 

そんな kotori の軽トラ日記でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一度、原点に戻り

 

 

新たな気持ちで、スタートをしたい。

 

 

そんな想いで今

 

 

東北宮城県仙台市、気仙沼に来ています。

 

 

 

 

そんな kotori の軽トラ日記でした。