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imaizumi blog

銀閣寺と現代住宅の思想

2026.01.30

銀閣寺を訪れるたびに思う。


ここには「主張する建築」が存在しない。しかしながら、空間全体には揺るぎない緊張感があるように思う。

向月台や銀沙灘は、機能を説明しようとした瞬間に本質を失う存在であり、

月を映すため、鑑賞するため、そうした目的論では到底語り尽くせない。

むしろこれは、風景そのものを受け止めるための構造であり、

そして建築と庭の境界を意図的に曖昧にした「思想のかたち」だと感じとることができる。

銀閣寺が示しているのは、足し算の美ではない。


徹底して削ぎ落とした先にのみ立ち現れる、静かな贅沢であり素材も構成も決して派手ではない。

それでも、この場所に立った瞬間、感覚が自然と内側へと向かう。

その体験こそが、最も高度な設計行為なのではないでしょうか。

富とは、量や装飾ではなく、何を削ぎ、何を残すかを判断できる審美眼に宿ると思っていて
銀閣寺は、その判断を何百年も前に実行し今なお更新し続けている稀有な建築と言えるのではないでしょうか。

この思想は、現代の住宅設計にもそのまま接続できると思います。
特にSE構法のように、構造を明確にし、無駄な壁や過剰な部材を必要としない建築は、

「削ぎ落とすこと」によって初めて成立する空間づくりと相性とても良いように感じます。

構造が整理されることで、空間には余白が生まれ、
その余白は、単なる広さではなく、光や風、外部の風景を受け止めるための余地です。

銀閣寺の庭が風景を主役にするように、我々が考える住まいもまた、建築が前に出過ぎないことで、暮らしの質が際立ってくる。

住宅において本当に問うべきなのは、どれだけ詰め込むかではなく
どこまで削ぎ、何を受け止める器として残すのか。
銀閣寺の空間は、現代においてもなお、住まいの本質を静かに問いかけ続けているように改めて感じた旅でした。