imaizumi blog
私が個人的に好きな建築のひとつ
それは、豊橋市にある むさしの幼稚園 です。

一見すると、華美な造形も強い主張もない。
しかし、ここには建築が本来担うべき役割が、極めて誠実なかたちで定着しています。
まず印象的なのは、分節された木造ヴォリュームの連なりです。
単一の大きな箱ではなく、いくつもの小さな棟がリズムを刻むように配置されることで、
スケールは常に「子ども側」に引き寄せられている。
これは単なる意匠操作ではなくて、身体感覚に寄り添うスケールコントロールではないでしょうか。

中庭を中心に回廊的に構成された平面は、園児たちの動線を過度に規定しません。
行為を「誘導」するのではなく、行為が自然に立ち上がる余白を上手に残しているように感じます。
この曖昧さが、教育施設における建築の成熟度を測る指標だと感じ取ることが出来ます。

外壁の木材は、均質に整えられすぎていません。
経年変化を前提とした素材選択は、「美しさは維持するものではなく、育つもの」
というメッセージを、言葉ではなく時間によって語りかけているようにも感じ取れます。
幼稚園という、人生の最も早い段階でこの風景に触れることの意味は、決して小さくないはずであり、
また、構造的にもこの建築は饒舌です。
木造でありながら、プロポーションと反復によって安定感を獲得している。力を誇示するのではなく、
構造が静かに背景化する設計。これは住宅や教育施設において、私自身が常に目指している姿勢でもあります。
むさしの幼稚園は、「子どものための建築」であると同時に、
大人が学ぶべき建築でもあると言えると思います。
建築は、何かを語りすぎた瞬間に教育的になり、語らなさすぎると、ただの箱になってしまいます。
その危うい中間に、この建築は確かに立っています。
だからこそ私たちは、この場所に強い知性と、深い優しさを感じるのです。
建築とは、使われながら思想が沈殿していくもの。
何回訪れてもむさしの幼稚園は、その好例だと改めて思います。
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