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staff blog

2025.09.01

こんにちは。

住まいの中に余白があると、その家は不思議と呼吸をしているように感じられます。

窓から差し込むやわらかな光が、壁と床の間に広がる何も置かれていない空間にゆっくりと漂い

時間さえも少し緩やかに流れていくようです。

家具を詰め込みすぎないリビングは、休日の朝にコーヒーを片手に立ち止まる場所となり

子どもが駆け回るための舞台にもなります。

なにか特別なものを用意しなくても、空いている余白が暮らしの可能性を受け止めてくれるのです。

余白とは単なる「何もない場所」ではなく

暮らす人の心を映し出す鏡のようなものです。

季節ごとに変わる光や風の流れ、置かれる花一輪の表情

そこに身を置く人の気持ちによって、表情を変えていきます。

あるときは静けさをまとった安らぎの場に

またあるときは集いの笑い声を柔らかく受け止める舞台に変わります。

建築というのは形をつくることでもありますが、本当に人を豊かにするのは

この「形の間にある空白」がどう息づいているかということなのだと思います。

日本の伝統的な住まいには、縁側や広縁といった

目的が定まっていない曖昧な場所が大切にされてきました。

そこはただの通路ではなく、庭と家をつなぐ中間領域であり、人がふと腰を下ろし

風や虫の音を感じるための余白でした。

現代の暮らしの中でも、同じような空白があると、毎日の忙しさに追われる心に小さな休符が与えられます。

少し広めにとった土間や、あえて何も置かない一角は、日常を立て直すための大切な装置となるのです。

余白はまた、未来の可能性を抱えています。

今は何もないとしても、そこには新しい暮らし方や思い出が生まれる余地がある。

子どもが成長するにつれて遊び場から勉強の場へと姿を変え

あるいは趣味や仕事のためのスペースになるかもしれません。

最初から役割を固定してしまうのではなく

空いているからこそ自由に変化できる、その柔らかさが住まいを長く生き生きと保ちます。

住まいの設計において、余白は目に見える形よりも大切な要素かもしれません。

それは無駄でも不足でもなく、心を解きほぐし、暮らしを豊かにするための豊かな「間」。

その静かな力を知っている家は、いつまでも人をやさしく迎え入れてくれるのです。